不安すぎて無理だった結婚と出産
第7回
子育てに自信が持てない理由
結婚と出産は女性が適齢期になれば、誰しもが考える事だと思います。
毒親育ちさんの傾向として、自分の家庭を築く事をが幸せだと考え、早い結婚をする方や、私みたいに結婚に対して良いイメージが持てず、独身を通してしまう人など選択が極端に分かれているような気がします。
私は産婦人科でお勤めしていた経験があり、赤ちゃんのお世話は大好きなのですが、自分の子供を持つ事に対しては、強い不安がありました。
特に子供の教育に関してなのですが、両親からは何をしても叱られていたので、自分自身が子供に対して、キチンと躾ができるのかと、心配でした。
私の友人達は、結婚と出産は女性の幸せだと思っている人が多くて、こんな悩みを誰かに相談しても理解はしてもらえない気がして、結局私は結婚、出産をしないままアラ還になってしまったのです。
もし今、若い頃の自分に結婚と出産に対するアドバイスをするならば、その子の特性を理解して、子供に対しては肯定的な言葉を使い、楽しく子育てをしていれば大丈夫だよと、言ってあげたいです。
どんな状況でも良い言葉を使い、気持ちを下げないようにしていれば、きっと良い子に育ってくれるから大丈夫だと、安心させてあげられたのにと思うのです。
起こってない将来の不安を考えても無駄
いくら毒親育ちでも、子育てに必要な知識をつける事と自制心があれば、毒親とは違った子育てができるのでは?と思います。
起こっていない将来に対し不安になる事は、不毛であると、今なら理解ができます。
以前は自分を守ることで精一杯でしたから、仕方がないとは思いますが、斉藤一人さんこの動画を聞いた時に、もっと若い時期この動画に巡りあっていたら自分の人生は変わっていたかも?と思ったとても良い動画内容です。
なので、将来に不安のある方にぜひ、見てほしいと思います。
毒親からの根深い影響 結婚編
第六回
やっぱりね!
結婚適齢期、友人達は次々と結婚と出産をしていく中、私も二十代後半になると、結婚の事を考えるようにはなったのですが、正直結婚願望はありませんでした。
実は私、結婚式まで挙げた相手が居たのですが、籍を入れるのが怖くて逃げ出したのです。
籍を入れる事で、また子供の頃みたいに自分の生活が支配されてしまうのでは?そんな不安もありました。
なぜ結婚式まで挙げたのに、逃げ出してしまったのか?それは相手の方が私の父親とそっくりな、モラハラ人間だったから。
彼は私の事を全否定したり、マウントをとったり、悪い事が起こると、すべて私の責任だと責任転嫁するので、お付き合いしている時もしょっちゅう、喧嘩してました。
そんな人との結婚は、絶対無理だと思ってましたが、モラハラ君は反抗しない私がお気に入りのようで、何度拒否しても覆され、私の両親を巻き込み、何度も説得され結局根負けし、結婚を承諾しましたが、同居するようになると、ますますモラハラ言動が酷くなり、とうとう私は鬱気味に!
精神科で一緒に勤務していた友人に毎日連絡し相談していたら、そこから離れた方が良いと言われ、←(友人も迷惑だったと思います)実家に戻ったのです。
もちろん両親は大激怒で世間体が悪いと、私の話しは聞いてもらえず、詐欺師呼ばわりされ、実家を追い出されてしまいました。
それからは二度と彼氏は作らない!結婚もしない!と固く誓いました。
今思うと極端な決断でしたが、周囲の人に多大な迷惑をかけてしまった事と、私の中で何年も引きずってしまうような、辛くて苦しい経験だったので、静かに暮らす事ができればそれで良いと思ったからです。
自分は不運だと思い込む不運
結婚がダメになり、最初に思った事は『やっぱりね!』でした。
自分が幸せになれないのは、”運が悪いから“そんなふうに思うようになってからは、何をやっても無駄だと思い、行動をする事も無くすぐに諦めていました。
でも、あんな事になってしまった理由を、今は説明する事ができます。
私が相手に対して優柔不断であった事、奴隷のように言いなりで、嫌な事でも受け入れていた。そんな自分の行動が原因だったと言えます。
改めて考えると、本当に自分は毒親育ち特有の行動をしていたと、今では冷静に判断する事ができるのですが、その当時は“親が面倒くさい”程度の認識だったので、まさか自分の行動が両親の影響を受けていたなんて、考えた事もありませんでした。
結婚の事については今まで、いろんな人にいろんな事を言われてきましたが、いくら嫌味を言われても、どんなにお見合いの話が来てもすべて拒否してしまいました。
でもアラ還になり、気力体力が落ちてきた頃から、心細く不安になり、あの頃どうしてあんなに意地を張ってしまったのか?と考えるようになりました。
頑張って婚活していたら、もしかして良いご縁があったかも知れないのに、なんてもったいない事をしたんだと、後悔しました。
自分を許す
ここでまた自分を許す事の話しになるのですが、過去の後悔や失敗で自分を許せずにいると、自分は幸せになってはいけないと、思う事で不幸を引き寄せる。
過去に後悔があっても、そんな自分を許す。過去が気にならなくなる事で、重たい気持ちが消えた結果、行動する事が楽になる。
自分を許す事でチャンスを掴み、幸せになれるのかもしれない。
自分には悪い結果しか訪れないと思い込むより、自分を許し積極的に行動する事で、幸せな選択肢を増やす!
次回に続きます
毒親の根深い影響
第五回
私の大後悔
この年になり心の底から後悔している事、それは大嫌いな両親に振り回され、嫌な思いをしていたのに、両親から独立しなかった事です。
私が新卒で就職したのは、自宅から車で通勤できる地元の病院でした。昔から環境の変化が苦手で、友人知人の居ない他県に移る事はまったく考えられず、地元に残りました。
私が成人しても両親の不仲は相変わらずで、年を追うごとに夫婦喧嘩は激しくなり、お互い憎しみあっていましたが、父親の出世に響くとの理由で離婚は選択肢に無く、しょっちゅう夫婦喧嘩を繰り返していました。
そんな両親と距離を置く為、私は仕事に慣れたタイミングで、病院の寮で暮らすように!
うるさい親の干渉から離れ、はじめての一人暮らしは思った以上に快適でした。
この職場は新卒で就職した病院です。何度か辞めたいと思っていた時、父親から『途中で辞める事は絶対許さない辛坊しろ!』と言われ、なんとか辞めずに頑張ってお勤めしていた病院でした。
そしてようやく仕事にも慣れ、楽しくなってきた22才の時、両親の大喧嘩に巻き込まれた事が原因で、勤めていた病院を退職する事になったのです。
その時は数ヶ月にも及ぶ周囲を巻き込む大喧嘩でしたが、なんとか両親は元の鞘に収まりました。この大喧嘩に巻き込まれた私は、母親から振り回された挙句←(詳細は割愛します)職場を退職する事態に!
父親には、母親が原因で退職する事を伝えると、私に対して、迷惑をかけた自覚があったのか?その時は、退職に反対される事も無く、ただ頷いていました。
でも、私を夫婦喧嘩に巻き込んだ事には一切触れず、謝罪もありませんでした。
私にはなんの関係も無いのに、迷惑をかけられた挙句、両親に裏切られ、心はボロボロでしたが、当の二人は何事も無かったように、しれ〜っと日常に戻っていました。
そして病院を退職すると同時に、寮を出て自宅に戻った私は、ショックで引きこもり、泣き暮らしていました。
今更ですが、私に酷い仕打ちを平気でする両親とは、この時すぐにでも距離をとっていれば、今は違う人生になっていたのかも知れないと思うと、大後悔しかありません!
毒親の影響から逃れるには、とにかく関わらない事!関わり続ける事で、相手はなんの躊躇も無く傷つけてくるから、傷はどんどん深くなってしまいます。
親だからと自分を犠牲にする限り、絶対に救われません!とにかく、1秒でも早く逃げ切る事が大事なのです。
両親に振り回され、裏切られた私はこの時から人間不信が加速、誰も信用できなくなり、その後の生きづらさに繋がるような生き方をするようになったのです。
大切な物を奪っていく両親
幼い頃から両親、特に父親からなのですが、私が反抗したり、意思を曲げない時には、私が大切にしている物を壊したり、捨てたりするのです。
そんな経験から自分の意見を言うと、大切な物を奪われてしまうと思うようになってしまったのか?自覚はありませんが、私の人生に深く影響があった事は確かです!でも、まさか両親の揉め事で仕事まで奪われるとは思っていませんでした。
こんな仕打ちを受け続けていると、警戒心が強くなり、その後の人間関係に大きく影響が出たのです。
私が生きづらい理由
- その場の空気を読み自分の意見が言えない
- 断れないから、面倒な事を押し付けられる
- 人に頼れず人からも協力してもらえない
- キツイ事も淡々と片付けるので、強い人と思われ頼られがち
- 問題のある人を好きになりがち
- 彼氏ができても心の底から信用できない
- 人が信用できず一人が楽なので、孤独になりがち
- 他人の機嫌を取る為、自分を押し殺しても相手に合わせる
- 人の親切で疑心暗鬼になり、不安になる
私が社会生活を送る中、上記の事が原因で、とても生きづらさを感じてましたが、その当時は両親の影響なんか考えた事も無く、ただ人間関係に神経を使う日々でした。
自分に疑問を持ち振り返る事ができたのは、アラ還になってからの退職がキッカケでした。
生きづらさを感じながら自分に我慢をさせて生きてきた結果、精神的に追い詰められた事が、自分を振り返る良いきっかけとなりました。
自分を振り返る事で、生きづらさの根深い原因に気づく事が、心の問題を解決する糸口になるのでは?と思うのです。
そして、少しずつ考え方を変えていくためには、自分一人では難しいと思います。
なので、プロのカウンセラーさんに相談してみる事も有効であると思います。
人生において人間関係は重要です。
1日でも早く自分の生きづらさの原因に気がつく事で、上手に生きていく事ができれば、今よりは人生が楽に楽しくなるのかも知れません!
そんな私は斉藤一人さんの言葉で助けられ、いろんな事に気づかされています。
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自分の許し方
第四回
◼️自分の許し方
自分を許すとは?どうすれば良いのだろうと考えていると、こんな動画を見つけました。
【斉藤一人さんの言葉】
- 相手に嫌な事をされても許す。
- どうしても許せない人がいる時は、許せない自分を許す『あの人事は許せないけど、自分だけは許します。』と言う。
- 自分が許せない理由、それは嫌な相手に反撃もできず、泣き寝入りした自分が許せないから、だから苦しい、勇気を出して一度だけ自分を許しますと言って下さい。そうすれば人生本当に変わります。
- 人を裁かない人に話を聞いてもらい、心をほぐす事も必要。
この言葉を聞いて私がずっとモヤモヤしていたのは、親に反抗する事もできず、これまで自立する勇気も無く両親から離れなかった自分自身に対し、腹が立っていたんだと、謎が解けたのです。
改めて幼少期の家庭環境が、私の人生全般に強い影響を及ぼしている事に驚いてしまいました。
これまでも、この苦しい状況を変えたいと、心理学の本に書いてある事を実践してみても、許せない気持ちが強くて、しつこい怒りが湧き上がり、モヤモヤは消えませんでした。
カウンセリングも考えましたが、精神科看護師を長くやっていたので、私自身が深い部分を素直に話せないような気がして、やめました。
今の状況は親だけが原因だった訳では無く、自分にも原因があった事に気がついた時、しつこい怒りが少し気分が落ち着きました。なので、今すぐ自分を許してもっと楽になろうと思います。
◼️私の悪い癖
毒親の影響は私の思考や行動にも悪い癖として現れています。
幼少期、両親は常に不機嫌だったので、私は些細な事ですぐに叱られていました。
そんな環境で成長すると、嫌でも他人の顔色を伺いながら空気を読み、つい他人の機嫌をとってしまう悪い癖が自然と身についたのです。
大人になっても他人軸が当たり前の私は何事も他人を優先し、自分の事は二の次でしたが、その事を疑問に思う事も無く、むしろ当たり前の事だと思っていました。
友人に困った事を相談した時に言われたのは「〇〇は断らないから面倒な事に巻き込まれるの」って言われ、驚きました。『みんなは断るの?』って!
家族や職場、友人の頼まれ事やお誘いがあれば、相手の機嫌を損ねないように、断る事無く無理しても受けていたので、私は絶対に断らない人認定され、よく面倒な事を頼まれる事もありました。(何故か人の役に立たないといけない気がするから)→これも毒親育ちあるある!
何かを頼まれたり、誘われると相手の機嫌が気になり上手に断る事ができず、断る事で罪悪感に苛まれてしまうので、逆に断らない方が楽でした。
でも、他人を優先し続ける事で、ストレスが溜まり限界が来ると自制が効かず、極端な行動をとってしまう事もあるんだなと、退職してしまった事で実感しました。
衝動的に退職した事をかなり後悔していたので、この自分の悪い癖を改善する為にはどうすれば良いのか?と思っていた所、斉藤一人さんのこの動画に出会いました。
◼️自分の機嫌は自分で取る!
- 他人が不機嫌なのはその人の都合で悪いだけなので、気にしなくても良い
- 機嫌が悪い相手の機嫌を取っても機嫌が直らないと、自分の機嫌が悪くなる
- 自分の機嫌は自分で取り、機嫌良く過ごす事が正しい事
- 自分が機嫌良く過ごしていると機嫌の悪い人から寄せてきて機嫌が良くなる
この斉藤一人さんの言葉を聞いて冷静に考えると、感情がコントロールできなくなるまで我慢して、自分を追い詰める必要があったのだろうか?なぜ、あんな生き方しかできなかったのだろうか?と後悔しかありません・・・
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許す事は自分の為
第三回
退職後は軽くうつ状態
退職した時期は感染症の自粛期間中でした。
私は長年の疲れが溜まったいたのか?寝ても寝ても眠気が取れず、一日中横になっている状態でした。
でも目醒めると考えるのは、退職した職場の事ばかり・・・。
辛い状況から思い切って離れた事は良かったけれど、退職から数ヶ月が経過しても、前職場への未練と再就職の不安から、気持ちはかなり複雑でした。
『あんなに周囲に気を使い頑張ってきたのに、どうしてこんな結果になったのか?』とそんな事をずっと考えてしまい、気持は落ち込むばかりでした。
今思うと、軽い鬱状態だったのかもしれませんが、気分の落ち込みと眠気なんて、ゆっくり休息を取ればいつか回復するだろうと、ボンヤリ思っていました。
現在私は自宅で母親と二人暮らし、母親は私が仕事を退職する事がご不満だったようで、『その年齢で、再就職できるの?』と毎日言われ、不安な私に追い打ちを掛けてくるのです。
そんな母親と暮らしていると、子供の頃両親から受けた嫌な仕打ちをポツポツ思い出したり、自分の意思では無く、両親の意向に沿って生きてきた結果、辛い事が多かったなと、過去の事を思い出しては悲しくなり泣いたり、怒りが込み上げたりと、自分の感情がコントロールできなくなっていました。
これは毒親育ちあるあるで、時々過去の事を思い出し情緒不安定になってしまうのです!
そしてイライラが募ると、つい我慢ができなくて後期高齢者の母親に向かい幼少期の辛かった事を訴えてしまうのですが、母親は忘れているのか?忘れたフリをしているのか?『今頃何言ってるの?』『あなた大丈夫?』と言われてしまい、更に悲しくなってしまうのです。(絶対謝ってくれない)
そんなある日ボンヤリとYouTubeを見ていたら、斉藤一人さんの動画が上がってきました。久しぶりに聴いているとこんな言葉が流れて来ました。
人を許す事は自分の為
他人軸で物事を考えている人は、自分の不幸は他人のせいだと思い人を許せなくなる。
他者に言われた事や、された事が許せないと、自分が不幸になる。
あなたが恨んでいる相手は、自分が言った事やした事はすっかり忘れている。自分の大切な1日を、嫌いな人の事を考えて過ごす事は、時間の無駄である。
恨む気持ちが自分に影響する理由
人間の出している波動は同じ波動の物を引き寄せている。
恨む気持ちは相手には届かず、その相手にはなんの影響も与えない。
けれど、誰かの不幸を望んだ自分に不幸をひき寄せ、運勢や体調が悪くなり不幸な気持ちが更に続く。
酷い事をされたと思っている相手を許す事は難しいけれど、まずは自分を許す事から始めてみる事が大事である。
この言葉を聞いて、ハッとしました。
今まで私は、他人を恨む事ばかりにエネルギーを消耗し、自分の不幸はすべて周囲が悪いんだと、こんなに辛いのは他人が私を振り回す為なんだと、ずっと思っていました。
自分を許せば、この現状からすぐに抜け出せると嬉しくなりましたが、自分を許す方法がまったく思いつかない⁇
どうすればいいんだろう・・・?
次回に続きます
正しい道 間違った道
第2回
母親に決められた道
私の両親は夫婦が悪く、物心ついた頃から家の中はいつもピリついている状態でした。
母親からは日常的に父親の愚痴を聞かされ、愚痴の最後は、必ずこの言葉で締めくくります。
- 男性を信用してはいけない
- 世の中の男性はみんなお父さんみたいな人
- 結婚なんて絶対するもんじゃ無い
- 一人でも生きていけるように手に職をつけなさい
この言葉を常に言われ続け成長しました。
そして母親から薦められた職業は看護師でした。
でも、父親の長年の浮気相手が看護師だった事もあり気分はちょっと複雑!
普段の母親は私の事にまったく興味が無く、ほぼ放置されていましたが、進路相談でいきなり母親が担任教師に向かい「この子は将来、看護師になりたいと言ってるので、看護学校に進学させます。」と一方的に話していました。看護師になりたいなんて言った覚えが無かったので、何が起こっているのか?と驚きましたが、母親に対して逆らう事もできず、嫌々看護学校へ入学し看護師の道へと進んで行くのです。
人間関係に疲れはてる
看護学校卒業後は普通に地元の総合病院に就職、業務以上に大変だったのは、人間関係でした。
仕事は努力と経験を重ねる事で、問題を解決する事ができますが、人間関係は努力ではどうにもならないことばかり!
私が新人看護師の頃は、先輩からの厳しい指導を受ける中、理不尽な事を言われ泣きながら帰宅する事もありました。嫌々なってしまった看護師だったので、辛くて辞めたいと両親に相談しましたが、激しく叱られ『とにかく辛坊だ!』と言われ逃げる事は絶対に許され無かったので、なんとか頑張って仕事を続けていきました。
そして気が付けば独身のまま50代になっていました。その頃、私は中間管理職だったのですが、普段から他人の顔色が気になる私は、周囲にかなり気を遣いながら、仕事をしていました。
でもどんなに気を配っていても、問題は起こります。
理由は、病棟にモラハラ気質のスタッフが居て、病棟の中の人間関係を複雑にかき回し、仕事に支障が出る状態まで職場環境は悪化!
私はそのモラハラスタッフの対応をせざるを得ない立場であった為、徐々に精神的に追い詰められ、毎日退職を考えるようになりました。
正しい道 間違った道
結局モラハラスタッフについては、上司に相談後別部署に移動する形で、円満に解決する事ができましたが、その後も直接自分の問題では無い事で、トラブルに巻き込まれたりと、次々に心が重たくなるような出来事が起こるのです。
それでも周囲の方に協力して頂きながら、なんとか切り抜ける事ができたのですが、コ◯ナ感染症が起こった事で現場は混乱、そしてもう限界だと感じるようになりました。
それでも『辛坊だ!』と思い乗り越えようと頑張っていましたが、辛くて、辛くてどうにかなりそうでした。
そんな時、斉藤一人さんの正しい道、間違った道の動画に出会いました。
【斉藤一人さんの言葉】
間違っているで道でも正しい道でも、苦労はやって来る。間違っている道に進んでいる時の苦労の先には、前以上の苦労が待っているけれど、正しい道に進んでいる時の苦労の先は、ご褒美が待っている。
今まで自分の辛い気持ちに蓋をして、仕事を続けてきたけれど、この動画を見た時「私は違う道に行っているのかもしれない」と考えるように!
そんな日々を送る中、職場での些細な事がキッカケとなり、とうとう20年以上勤めた職場を勢いで退職してしまったのです。
退職を決めた直後はスッキリしたのですが、それと同時に不安になり、とても複雑な心境になりました。
そして退職後の私は・・・
次回へ続きます